見所
2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、他のグスク跡とともに世界遺産に登録されています。
グスクとは王城のことだそうです。
中華風の建物に感じられますが、木造二層三階、赤瓦葺きの入母屋造り、朱塗りの柱など、その建築様式は日本の神社や寺院にもよくみられる和風建築のもので、中国と日本の文化をあわせた独自の文化とのことだそうです。
当時の琉球は、各地の支配者を束ねる強力な王が現れていて、現在の糸満市を中心とする「南山王国」、今帰仁村を中心とする「北山王国」、そして那覇市と浦添市を中心とする「中山王国」が対立する「三山時代」だったそうです。首里城は、この中山王国の首府として創建されたものだと考えられています。
琉球王国で起きた歴史上の大きな出来事は、ほぼ首里城が舞台となっていたそうです。
2019年10月、首里城の火災が起こり正殿が焼失してますが、2026年までに再建を目指しています。
見所
2000年には首里城とともに世界遺産(文化遺産)に登録されており、2006年には「日本100名城」にも選定されてます。
14世紀頃、北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配しており、北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を中心に支配下としていたそうです。
1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上したとされています。
見所
まずスケールの大きさに圧倒されます。そして沖縄の海を“まるごと”体感できます。 館内では約570種1万1,000点もの海の生き物を展示しているそうで、1日中居ても飽きません。
見所は、大型水槽の巨大なジンベイザメや鮫、イルカショー、ウミガメの遊泳と挙げてもキリがないほどです。
見所
安政6年(1859年)に長崎港開港時に往来した3人の商人「グラバー」「リンガー」「オルト」の邸宅で、文久3年(1863年)に建てられたそうです。
「明治日本の産業革命」として、世界遺産のひとつとなってます。
敷地内は日本とイギリスの文化が交じり合った感じで、独特な雰囲気があります。
見所
2015年(平成27年)「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されました。
「端島炭鉱」が本来の名称ですが、島全体が軍艦のような形をしていることから俗称で「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。
1890年(明治23年)、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されました。端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきました。石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年(昭和35年)には5,267人が住んでいたそうです。
また当時の人口密度は世界一で、東京人口密度の9倍以上とも言われるほどだったそうです。
主要エネルギーであった石炭がその座を石油へと移ることにより衰退の一途をたどり、1974年1月15日に閉山、この年の4月20日に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となったそうです。